電力中央研究所 RECRUITING

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沿革

  • 1951
    電力中央研究所

    電気事業の中央研究機関として、東京都狛江市に財団法人電力技術研究所設立

    電気事業・社会情勢

    電気事業再編成により、9電力会社設立

  • 1952

    経済研究部門を追加し、財団法人電力中央研究所に改称

    電源開発株式会社設立
    電気事業連合会発足

  • 1953

    電力技術研究所と並んで電力経済研究所(現:社会経済研究所)を新設

  • 1957

    千葉県我孫子市に農電研究所を設置(現:環境科学研究所の一部)

    日本原子力発電株式会社設立

  • 1963

    関西電力株式会社 黒部川第4発電所完成

  • 1968

    群馬県赤城山麗に配電近代化実験場、および実験農場を設置(現:赤城試験センター)

  • 1970

    土木技術の研究部門を狛江地区から我孫子地区に移転・拡充し、技術第二研究所とする(現:地球工学研究所)

  • 1972

    沖縄電力株式会社設立

  • 1973

    資源エネルギー庁発足
    第1次オイルショック

  • 1977

    財団法人超高圧電力研究所の事業を継承し、超高圧電力研究所を設置(現:大電力試験所)

  • 1987

    ヒューマンファクター研究センター(現:NRRCと原子力技術研究所の一部)を設置

  • 1989

    世界原子力発電事業者協会(WANO)設立

  • 1992

    情報通信研究センター(現:ENICとシステム技術研究所の一部)を設置

    「環境と開発に関する国連会議」がブラジルで開催

  • 1993

    「第1回トリレンマシンポジウム」開催(2000年まで計8回開催)

  • 1995

    電気事業法改正(卸供給の自由化等)

  • 1997

    事務センターを設置

    京都で「気候変動に関する国連枠組み条約第3回締結国会議」(COP3)開催
    京都議定書 採択

  • 1999

    評議員会を設置

    電気事業法改正(電力の部分自由化等)
    JCO臨界事故 NSネット設立

  • 2000

    低線量放射線研究センター(現:放射線安全研究センター)を設置

    電力の小売自由化開始

  • 2001

    創立50周年
    技ありて 未来あり 人ありて 技あり 人と技術の50年
    PDFファイル:約28MB
    大電力試験所を設置

  • 2005

    PDセンターを設置

    京都議定書発効
    卸電力取引所開設
    原子力発電所耐震設計指針の見直し

  • 2007

    総括プロジェクト「軽水炉高経年化研究」を設置

    IPCCがAR4を発表、ノーベル平和賞を共同受賞

  • 2012

    公益法人制度改革に伴い、一般財団法人へ移行(名称:一般財団法人電力中央研究所)

  • 2014

    原子力リスク研究センター(NRRC)を設置

    電力小売りを2016年に完全自由化する改正電気事業法が成立

  • 2016

    エネルギーイノベーション創発センター(ENIC)を設置

    電力小売り全面自由化開始

  • 2018

    北海道大規模停電

  • 2020

    送配電部門の法的分離開始

  • 2021

    3研究本部を新設し、研究体制を再編

「電力の鬼」と呼ばれた事業家
=電力中央研究所創設者“松永安左エ門”

創設者である松永安左ェ門の電気事業に対する確たる信念は、
戦後日本復興の活力の源となり、
現代に通じる先見性にあふれていました。
96歳で亡くなるまで電気事業の世界に、
そして経済界、産業界に影響を与え続けた
彼の不屈の精神は、今も私達のなかに引き継がれています。

松永安左エ門
松永安左エ門
松永安左エ門(1875-1971)

実業家。長崎県壱岐出身。「電力王」「電力の鬼」と言われた日本の財界人。我が国の電力設備の近代化と電源開発を推進するリーダーとして活躍し、近代日本の発展を導き、産業界、政財界などにも多大な影響を与えた人物。
戦前は、東邦電力を中心として、東北電気、東京電力など約100社の民営の電力会社を支配下に収めた。第二次世界大戦後は「戦後の日本復興を支えるのは電力であり、電気事業の競争による発展が欠かせない」との信念を持ち、電力国家管理に反発し、その後電気事業再編成審議会委員長に就任する。激しい反発にあいながらも1951年に民営の9電力体制の整備を実現させた。これらの電力会社は戦後復興のエンジンとなって、我が国の高度経済成長を支えた。9電力体制が整うと、次に着手したのは研究所の設立であった。電気事業の中央研究機関として、電力中央研究所を創設し、政・財・学・官界のトップで構成する「産業計画会議」を発足させ、国鉄の民営化や高速道路の整備等日本の近代化を推し進めるプロジェクトを牽引すると同時に、電力設備の近代化と電源開発も推し進め、我が国の将来にわたる電気事業の礎を築きあげたのである。

9電力体制とは、戦中の日本発送電を含む日本国内の全電力設備を分割し、9つの配電会社に配分し、地域ごとに電力配給の責任をもたせる体制のことである